安倍が悪いのか悪くないのか
よく、「安倍が悪い」という言葉を見ます。もちろん、首相なので全ての責任は最終的には安倍総理大臣にある訳です。そういった意味で「安倍が悪い」と言うのは理解出来ます。
このような日常会話的な意味で使うのには、よろしいことでしょう。しかし、一歩踏み込んだ話の場合、一概に「安倍が悪い」と言うのはどうなんでしょう。
悪いか、悪く無いかで考えるよりも、もう少し大局的な視点で見たほうが良い時もあります。
ビスマルクは政治について次のように述べています。
「政治とは妥協の産物であり、可能性の芸術である」
与党と野党が話し合い折り合いをつける。国民が投票し、国民の代表である議員が国会で話し合う。だから民主主義なんです。つまり、政治イコール安倍のワンマンじゃないんです。
何か政策が決まったとします。でもそれは、A党とB党とC党....が話し合い、妥協し合える地点での合意かも知れません。その合意内容はA党の理想の100パーセントかも知れませんし、50パーセントかも知れません。
リーダーの意思決定というのは、様々な制約のもとにあるんです。それは時間だったり、情報だったり、国際関係だったり、心理的要因だったり。
つまり、リーダーが思っていることと、意思決定というのは違うものなのです。
冒頭に述べたように、最終的な責任は首相にあるので大枠での、「安倍が悪い」と言うのは間違いではないでしょう。しかし、ネットで(リアルでもいいですが)政治を語っている方、一歩踏み込んだレベルでの政治の話がしたいのなら、「安倍が悪い」というだけではなく、大局的な視点も持ったほうが良いと思います。
このリーダーの最終目標は何なのか?今回の政治的決定は、どういった背景なのか?大きく妥協させたのか、させられたのか?と大局的に見ることが必要なのではないでしょうか。
あなたが考えるベストな政策、首相が考えるベストな政策。これは絶対に達成されることはありません。政治とは妥協の産物なんです。